朝ドラの原作「土佐堀川」を読むと、結構面白い発見があるんです。
例えば今回ご紹介する人物は広岡さんと深い関わりがある人物で
経営に関する事で何か行き詰まったらこの人に聞いていたというくらい
重要な人物です。
ちゃんと朝ドラに出るのかな~?笑
もくじ (文字クリックでジャンプ出来ます)
二人の出会い
浅子の一人娘の亀子も11歳に成長して手がかからなくなり、
事業の方も鉱山の規模が3倍まで拡大し、加島屋は経営危機を乗り越えたばかりか
借金も完済し銀行設立に向けて準備が進められていました。
浅子は時に大胆なことをする人ですが
基本的には石橋を叩いて渡るような人で、
銀行を設立する際は入念な準備をしたのは当然ですが
ある人物から教授を受けたいと考えていたのです。
そう、五代ではなく銀行の神様と呼ばれる男・渋沢栄一です。
彼は東京で暮らしていたので、手紙を送り面会の機会を伺っていたのです。
なかなか返事が来なかったのですが、
大阪に用事がある日に会ってくれという。
渋沢いわく銀行経営はお金ではなく信用が第一で、
お金は扱う人の器量の大きさにしたがって動く、
だからこそ経営者が誠実に商いをして信用をつけることが大切だと彼はいう。
需要がある石炭事業のように、誰がやっても儲かるというものではなく
銀行経営は、浅子自身が信頼できる人物にならなければいけない。
それは加島屋の原点である”両替屋”時代に彼女は感じていたはず。
だからこそ経営の原点に戻り、商いの本質を渋沢と面会し再確認したのです。
また、私腹を肥やすだけという商いは決してやってはいけない、
日本の大切なこの時期だからこそ国益を考え、人を育てることも大切だと彼は言う。
確かに彼は一橋大学、東京経済大学など
学校設立に大きく貢献した人物でもあるのです。
日本女子大設立で渋沢の力を借りる
女子大設立に向けてぜひとも力を借りたいと広岡宅を訪れたのが成瀬仁蔵。
元々浅子自身、女性の社会進出や女学生の活躍の場を広げたいと考えていたので
成瀬に賛同し、女子大設立に尽力したのです。
最終的に渋沢の協力を得て、
設立資金集めに苦労はしましたが、明治34年4月4日に目出度く東京目白に開校したのです。
銀行経営の危機にまたしても助言を仰ぐ浅子
不況の煽りで大阪の他銀行が倒産したことで、
加島銀行も潰れてしまうのでは?という噂が一気に広まり、
窮地を脱したいと浅子が相談に伺ったのが渋沢でした。
「少々心配しすぎじゃありませんか?」
他人事のように話す渋沢にむっとした浅子でしたが
恐慌になっても政府が何も手を打たないはずもなく、
加島銀行だけをみずに大阪、日本全体を展望し大局を乗り切ることが大切ですよと彼は言う。
経営危機だけは脱したいと奔走していた浅子でしたが
その後に日銀が救済融資をすることが決まり、倒産は免れたのです。
政府の援助があると分かれば預金者はまた利用し始める。
「ほんまに現金なもんやな。」
とぼやくのでした。
いかがでしょうか?
大事な局面に必ず彼が関わっており、
朝ドラに登場しなかったらオカシイ人物だと思いますよね?
後半で登場すると良いですね。