小野明美のモデル・大ヶ瀬久子は外国人専門のベビーナース

キアリスの創業メンバーとして誰よりも速く「べっぴんさん」に登場した小野明美。
谷村美月さんが演じる彼女は坂東家の女中の娘で、すみれとの第一印象は最悪でした。

でもすみれ達が大人になり、子供服のショップの創立メンバーとして活躍することになるのです。そんな彼女のモデルとはいったいどんな人物なのか?

今回はベビーナースとして活躍された大ヶ瀬さんをご紹介したいと思います。

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大ヶ瀬久子さんってどんな人?

明治33年、ちょうど1900年に生まれた久子は、1921年(大正10年)頃から病院勤務で経験を積み、外国人専門のベビーナースとして活躍。

戦後はナースの仕事だけでなくコンサルタント活動や講習会を開くなど欧米の育児文化を日本に広めることに尽力されました。

ベビーナースとは?

ベビーナースとは育児専門の看護師。西洋式の育児を取り入れたその方法は日本のこれまでの子育てとは全く違うものでした。

例えば離乳食は当時、おかゆさんが主流でしたが、野菜・肉類・卵類などバランス良く与えるのが西洋式です。また、寝かせ方から寝る場所、そしてベビー服に至るまで日本式とは異なり赤ちゃんでも独立心をを養うという考えを育児に取り入れていたのです。

大ヶ瀬の育児論

彼女は昭和47年に「1歳までの育児」という書籍を出版しましたが、こんなことを言っていました。

「赤ちゃんを独立心のある子に育てるには、生まれるとすぐに独り居の週間をつけることが大切な条件の一つです。ことに乳児の最初の数ヶ月は、その赤ちゃんの一生の体質や性格を作ると言われるぐらい大切です」(1歳までの育児)

子供でも個人として平等に扱う西洋式。早期に自立心を養うことが大切だと彼女は言う。

 

坂野惇子との出会い

坂野惇子と道夫が結婚して2年半経った1942年に長女の光子(てるこ)が誕生。外国人が多く暮らす岡本で生活していた坂野家は西洋文化に触れる機会が多かったようです。

そして隣に住んでいた英国のオーツ夫人の子育て方法を見て驚きを隠せない惇子。思い切って夫人に話しかけてみると、日本の育児は遅れていると彼女はいう。西洋式の育児に興味を持った惇子は夫人の紹介でベビーナースの大ヶ瀬久子を紹介してもらい、さっそく彼女に来てもらうことにした。

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当時、ベビーナースは3ヶ月契約が基本で、報酬は月に150円支払っていたという。道夫の月給が90円だった事からベビーナースの報酬がそうとう高額だったことがわかります。

しかしそれだけ支払っても恩恵は非常に大きい。合理的な育児法を吸収した惇子はやがて子供の立場に立ったベビー用品を世に送り出す事になるのです。ちなみに創業メンバーの1人である田村江つ子も大ヶ瀬の友人・下岡仲子から西洋式の子育てを学んでいたようです。

西洋式の育児を学んでわかったことは当時の既製品は子供のことを考えて作られていないということを改めて感じた二人なのです。