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「ハドソン川の奇跡」機長のモデル・サレンバーガー・パイロットに人生を捧げた男

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2009年1月15日、
両エンジンが故障し厳寒のハドソン川に緊急着水したUSエアウェイズ1549便の機長を務めたチェスリー・サレンバーガー氏はどんな人物なのか?

自伝「機長、究極の決断」を参考にご紹介したいと思います。

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大空に夢を抱いた少年

幼いころ、サレンバーガー氏はテキサス州デニソンの片田舎で暮らし、近隣に空軍基地があったので低空で飛ぶ戦闘機を双眼鏡で眺めては胸踊らせていたいました。

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(出典:http://www.wsj.com/)

写真は5歳の頃で、この時期から航空機に関するあらゆることに興味を示し、11歳の頃には飛行に関する本や雑誌を読み漁っていたとか。また、母親と一緒に初めて乗った飛行機は大人になっても忘れられない経験の一つとして語っている。速度を上げて上昇していく機体、そして上空から見える小さな建物など見るもの全てが新鮮で、この時に自分の将来は絶対にこれだ!と確信したそうです。

 

16歳で単独飛行に成功

飛行機の操縦訓練がしたいと父親に頼み込み、16歳から夢だったパイロットに一歩近づいた少年。父親の友人で農薬散布機のパイロットをしているクック氏から学び、訓練開始から2ヶ月後に離着陸を1人で三回成功させた。僅か9分の出来事でしたが記念すべき初のソロフライトの瞬間でした。

ということは高校では人気者だったのかといえば全くそんなことはなくて、むしろ1人で過ごすことが多く、操縦桿を握っている方が落ち着くという。内気で人見知りでコミュニケーションが苦手という一面もありますが、親の言うことをしっかりと聞き、誠実で素直な性格の少年は周りに流されることなく、自分が信じた道を突き進んでいったのです。

 

航空機事故という現実

訓練指導員のクック氏の友人が飛行中、電力架線を避けようと機体を上げた時に速度が落ちて揚力を失い機首から地面に激突。パイロットの友人は即死だったという。

計器パネルに飛び散った血痕を目の当たりにした10代の少年にはキツすぎる内容ですが、一歩間違えば大きなミスに繋がる航空機の危険性を改めて感じる出来事でした。

 

免許取得、そして家族を乗せて飛行

1968年10月、パイロットの訓練を始めて1年、自家用操縦士の免許を取得したサレンバーガーは翌日に母親を第一号の乗客に、そして家族をひとりずつ乗せてフライトを楽しんだようです。これで自信がついたのか、同じ高校に通う気になる女の子に思い切って声を掛け、彼女の両親に承諾を得てドキドキの空のデートを楽しんだようですが、残念ながらその子とは進展は無かったようです。

 

厳しい空軍士官学校

1969年6月23日、18歳で憧れの空軍士官学校に入学。5年間の空軍士官を務める事を条件に学費は免除される。

士官学校では先輩たちのしごき、厳しい訓練の毎日、そして一年生は飛行訓練をすることが出来ないですが、2年生からは時間があれば飛行場に向かっていたそうです。士官学校に通っている間に飛行教官の資格を取り、1973年の卒業時には最優秀飛行技量士官候補生に選ばれるなど、他の卒業生とは比べ物にならないくらい勤勉だったようです。

 

空軍基地勤務時代

空軍士官学校を卒業後、インディアナ州にあるパデュー大学に入学し産業心理学を専攻。士官学校時代に大学院レベルの科目を履修していたので僅か6ヶ月で修士号が取れたそうです。パデュー大学で学んだ後、ミシシッピ州にあるパイロット中級訓練コースで1年間戦闘機の訓練を積み、その時に初めてマッハ1.0を超える音速のジェット練習機の操縦桿を握ることが出来たとか。

一年間の訓練を終えた後、ニューメキシコ州にあるホロマン空軍基地に配属され、戦闘機に関するあらゆる訓練を行い空中戦や編隊飛行など、かなり危険性のある難易度の高い練習を行っていたそうです。

サレンバーガー氏が空軍基地で搭乗した戦闘機は、
・T-38タロン
・F-4ファントムⅡ

F-4はマッハ2で飛ぶことが出来る音速ジェット機でナビゲーターと二人一組で搭乗するタイプ。この戦闘機で訓練中に命を落としかけたことが2回あったとか。軍に在籍中、訓練中の事故で命を落としたパイロットを数多く見てきた彼は些細な判断ミスが大きな事故に繋がる事を強く感じたようです。

アメリカ国内にある基地を転属し、ネバタ州にあるネリス空軍基地に移った頃には大尉に昇進。そこでは事故調査委員会に選ばれ、様々な事故を客観的にみることで「正確な状況確認」を常に保つことがパイロットとしての重要事項だということを改めて認識することになるのです。

ただ、高価な戦闘機を大破させてはならないと躊躇し判断が遅れて命を落とすパイロットも少なくありません。数百万ドルもする機体ですから、そうした責任を感じて脱出が遅れてしまうこともあるのです。

 

軍から民間航空会社へ

このまま軍に在籍し、順調に昇進して行けば戦闘機に乗る機会が減り、その代わりデスクに向かう時間が長くなる。彼はデスクに座って仕事をすることを望んでおらず、6年の任期を終えて軍を去り、パシフィックサウスウエスト航空に入社。当時は不況でどこの会社もパイロットを新規で雇う事が無かったそうなので、これも運命だったのかもしれません。

その後、パシフィックサウスウエスト航空は他の航空会社と合併しUSエアウェイズが誕生。(ちなみにUSエアウェイズも2015年にアメリカン航空に経営統合されました)

航空会社に入社後は航空機関士として3年半、副操縦士として4年半務め上げた後、機長審査に合格して機長に。これからUSエアウェイズの機長として活躍していくのです。

 

私生活・妻・ローリーとの出会い、そして結婚

1986年7月6日、カリフォルニア州にあるオークランド航空路交通管制センターの式典で出会ったのが妻のローリー。この時、彼は35歳。気さくな彼女に一目惚れしてしまったようですが、ローリーは男性との交際は懲り懲りと思っていた時期でもあり、交際に至るまでは相当苦労したようです。人付き合いが苦手な彼ですからね、誘うのも勇気が必要だったと思います。

80キロ以上離れた場所に暮らす二人ですが、お互いに通い合い1年の交際を経て同居。そして1989年6月17日にめでたく結婚したのです。

しかし二人は不妊治療のかいもなく子供が出来なかったので養子を迎えいれ、長女のケイトそして次女のケリーが家族の一員になったのです。

こうして家族が増えたことで家庭も明るくなったわけですが、仕事の都合上、娘達の成長の節目に自分がいなかったことは残念に思うと語っているように、フライトの日程によっては一家の大黒柱が数日家を空けなければいけないのは、妻のローリーが寂しい思いをしていただけでなく、家族との大切な時間を共有できなかった辛さもあったということです。

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運命の1549便

そしてサレンバーガー氏の人生を大きく左右することになったハドソン川の緊急着水。2009年1月15日にラガーディア空港を離陸した1549便はバードストライクによって二基のエンジンが故障し推力を失った機体をマンハッタンの西側を流れるハドソン川に着水させ乗員乗客155名を無事に生還させるという軌跡が起きた。

2009年といえば、サブプライムローンを発端とする経済危機がまだ尾を引き、アメリカ全体が沈んでいた時期でもありました。そんな時に嬉しいニュースともいうべき全員の生還を誰もが歓喜してサレンバーガー氏を英雄視したのです。

連日メディアに引っ張りだこで、忙しい毎日を過ごし、本の執筆作業もしていたのですから、あの事故が人生の転機だったのかもしれません。

2009年の秋ごろに職場復帰しましたが2010年にUSエアウェイズを退職。講演活動やコンサルタントをメインに活動するようになったのです。

42年間のパイロット人生に終止符を打ったものの、空をとぶことへの情熱は冷めていないという。彼は言う、父親から借りた双眼鏡で航空機を眺めていたあの頃から気もちは変わっていないと。

関連:原作小説の感想はこちらの記事です

 

名言集

彼が敬愛する詩人・ジョン・メイスフィールドの「海原に魅せられて」という詩の一節に

「帆船に乗り行く手を導く星が一つ空にあれば良い」

という言葉がとても気に入っているといい、コクピットに座っていると、ふとこの一節を思い出すらしい。GPSや方位磁針がなくても金星の位置でカリフォルニアまで飛んでいけると。

 

遅れても災難よりはまし

これはおみくじクッキーに入っていた言葉で自分にとって良きアドバイスだったのでマニュアルに貼っていたとか。1549便が墜落した時に川底に沈んでしまいましたが、無事に戻ってきた時は大変嬉しかったそうでです。

また、お子さんとの会話で生まれた素晴らしい言葉がある。
長女のケイトに「誠実」とは何か聞かれた時に「面倒でも正しいことをすること」という返答は父親としてお手本にすべき回答ですが、次女のケリーが「世界で一番のしごとは?」という質問に

「やらなくても良い時でも、やりたくなる仕事だよ」

仕事に対する情熱や責任感、そして何よりも「仕事が好き」という気もちが無ければこの言葉は出てこないでしょう。そして機長という立場上、チームプレーの責任者としての自覚もあり、あの事故後に英雄扱いされた彼は繰り返し次のことを言う、

「誰がなんというとあれはチームプレーだった。」

副機長、客室乗務員の迅速な対応にとても感謝しているという彼は上司としても優秀でお互いに信頼関係がしっかりと構築されているのだと感じました。

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