実話「ハドソン川の奇跡」原作小説の感想「彼は決して容疑者扱いされたわけじゃない」

2016年9月24日に公開となる今作。
監督は2016年で86歳を迎えるクリント・イーストウッドで
前作「アメリンスナイパー」に引き続き今作も実話を元に制作される話題作。

そして主演は私の大好きなベテラン俳優トム・ハンクス。
そういえばキャプテンフィリップスを観に行ったけど、あれはもう3年前の話なのか・・。

さて、今回は映画を観る前に内容が非常に気になったので機長の自伝とも言える書籍を読んでみましたのでご紹介。

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「機長、究極の決断(ハドソン川の奇跡)」のあらすじ

2009年1月15日、
USエア1549便はニューヨークのラガーディア空港を離陸して直ぐにバードストライクに遭い、2基のエンジンが故障。

推力を失った機体では近隣の空港まで届かないと判断した機長はニューヨーク州とニュージャージー州の間を流れるハドソン川に不時着水を試み、けが人は出たものの見事乗員乗客155人全員が生還する事ができた。

事故が発生して不時着まで僅か3分28秒。
この時対応した管制官パトリックは付近の空港に緊急着陸できるように手配してくれたようですが、もし滑走路に届かずに地上に墜落してしまったら乗客だけでなく地上に居る人たちも犠牲者が出てしまい、それこそ大惨事になっていたかもしれない。

機長の彼は言う、片方のエンジンが故障した場合は推力が残されているので考える時間は十分あるけれど、今回は迷っている時間は無い。彼は空軍時代に何億とする戦闘機を大破させてはならないと躊躇した結果、命を落とした仲間を何度も見てきた。一瞬の迷いが命取りになるということを軍に従事していた時に学び、そして過去の旅客機事故の教訓をしっかり学んだことが生かされたわけです。

しかし着水には大きなリスクが有る。
1996年にハイジャックされたエチオピア航空961便はインド洋に不時着水した時に左の翼を海面に叩きつけてしまい機体はバラバラ。乗っていた175人の内、犯人を含む125人が亡くなってしまうという痛ましい事故がある。

担当したパトリックは、不時着すると言われた時この事故を思い出したという。機長と通信を交わしている間、私が最後の話し相手になるのだろうか、そんな絶望的な管制官に対し、絶対に生還する事を信じて疑わなかった機長。

彼の判断は正しかった。
2基のエンジンが故障し推力を失った1549便はハドソン川に無事着水することに成功。乗客は直ぐに機外に脱出し翼とラフトに避難。数隻の高速フェリーが次々と救助に向かい、155人全員が無事救助された。

 

事故の詳細

USエアウェイズ1549便(エアバスA-320-214)
ニューヨーク→シャーロット
乗員5名、乗客150名、合計155名

機長・チェスリー・サレンバーガー

2009年1月15日、ラガーディア空港発。
午後3時25分56秒、1549便が離陸

離陸から95秒後、
速度200ノット(時速370キロ)高度2750フィート(838メートル)に到達したところでカナダガンのバードストライクが発生!機内では振動・衝撃・焼けた臭いを感じることが出来た

機体は北西を向いていたが左へ旋回し南南西へ

午後3時28分46秒 ジョージ・ワシントン・ブリッジを通過

午後3時29分11秒、機長アナウンス「衝撃に備えて!」

午後3時30分42秒、ハドソン川に緊急着水

僅か数分で高速フェリーが次々の救助に向かい、155人が無事救助された。

1549bin

(機内から脱出して翼とラフトの上で共助を待つ乗客)

3Dによる再現アニメーション

離陸から着水まで飛行ルートがリアルに再現されています。

 

彼は英雄か、それとも容疑者か?

映画のキャッチコピーをご覧になりましたか?

「155人の命を救い、容疑者になった男。」

彼は事故後、街行く人に好奇な眼差しで見られ当局から厳しい取り調べを受け、挙げ句の果てに殺人未遂で逮捕されてしまったのでしょうか?

あくまでもこの書籍からはそんな辛い経験をされたことなど一つも感じることは出来ませんでした。それどころか事故は瞬く間にアメリカ全土に広がり、一瞬にして時の人になったのは言うまでもなく、人から英雄視されて逆に困惑していたようです。ブッシュ大統領から直接連絡があったり、オバマ大統領から晩餐会に招待されたり、全国から勇気づけられたとメールが何全通も届いたり、そして地元では歓迎式典が行われるなどまさにお祭りモード。

事故調査委員会が動いたのは当然ですが、容疑者扱いされたという事実は無いでしょうね。

 

「ハドソン川の奇跡」事故後に起きた出来事

先程も書いたように事故後はまさに英雄で手紙やFAXがアメリカ全土から届いたようですが、中には1ドル札が5枚入っていて

「よくやった!ビールを奢らしてもらうよ!」

という微笑ましいエピソードもあったようです。
しかし機長のサレンバーガー氏は事故後、心的外傷ストレスで睡眠障害に苦しめられ、食欲は減退、集中力も低下し、フラッシュバックも起きるようになり、そうした辛い状態が2ヶ月ほど続いたそうです。

しかし事故のおかげで沢山の人に出会えたのは大変光栄だと語っていました。奇跡の生還を果たした乗客との再開、そして何よりもハドソン川に沈んだ私物が帰ってきたことも嬉しかったと語っています。

私物の中には航空路線図もあり、おみくじクッキーで引いた「遅れても災難よりまし」と書かれた紙をそのマニュアルに大事に貼り付けて教訓として携帯していたようです。それが自分の元に戻ってきたのですからこんな嬉しいことはないでしょう。そして図書館で借りていた本も戻ってきたようですが、流石にパリパリで貸し出せる状態では無かったので連絡をしたら図書館も事情が分かっていますから問題ないといい、その本は図書館で機長が借りた本として飾られているとか。

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堅物で仕事人間のパイロット

サレンバーガー機長は自分に厳しいだけでなく他人にも厳しさを求めてしまうところがある。お世辞にも社交性はあるとはいえないが、チームプレーを重んじ、機長という立場からチームの長としてクルーへの配慮は忘れない、まさに上司の鏡と言っても良いでしょう。

彼は何度も言う、
「生還できたのはチームプレーにほかならない」と。

ちなみにオバマ大統領に招待された時は当時のクルーも招待することを条件に参加を申し出たそうですから。

 

今回の事故は、空軍時代に同じ志を持った仲間の死や過去の航空機事故の教訓を学ぶ真摯な姿勢、そしてインストラクターとしての経験が今回の事故の明暗を分けたともいえる。

仕事柄、家族が犠牲になったり子供の成長を見ることが出来なかったのは本人も残念がっていましたが、皆が思うことはただ一つ、パイロットは彼のような人物であって欲しいということ。

サレンバーガーは事故後、復帰しましたが2010年にUSエアウェイズを退職し講演活動やコンサルタント業をメインに活動をされているようです。

ちなみに墜落した1549便はノースカロライナ州にある「Carolinas Aviation Museum」に展示されています。

関連:機長・サレンバーガー氏の生い立ち・40年のパイロットの歴史