小説「浮世の画家」あらすじと感想ノート(ネタバレ含みます)

日本が舞台ということに興味を抱き、この本を読んでみることに。幼少の頃にイギリスに渡ったカズオ・イシグロさんの2作目の長編小説です。私にとっては初めてのイシグロ作品、英語で書かれた小説から翻訳されたとは思えない違和感のなさにホッとしながら読み始めました・・・

Sponsored Link

あらすじ

舞台は、終戦から数年経った頃の日本。戦争に協力的だった画家として戦時中は世間の評判も良く、優秀な弟子達にも尊敬されていた小野益次(おのますじ)は、信念と自信を持って成功を勝ち得たはずだったが・・・

終戦を境に変わる時代の変化とともに、戦前の価値観を否定する戦後の若者たち。今は老いて画家を引退した主人公は、大勢の人々に尊敬されていた頃が否定されて世間の風当たりを冷たく感じながら、娘の新しい縁談が上手くいくことを願って、遠ざけていた過去の確執と若者の価値観に向き合う。

「浮世の画家」の感想(その1)

好感が持てる文章

著書が何かを批判する風でも無く、誰かを絶対悪にするわけでもなく、日本で暮らしている人々が時代に合わせて変わっていく姿が押しつけなく描かれている印象。

戦争のお話というと何かと暗くなりがちなイメージを連想しますが、温かみのある明るい雰囲気と丁寧な文章に好感が持てます。2回以上の読書+あとがきを読まないと感想さえ浮かんでこない私でしたが、じわじわと考察して、じわじわと楽しみました。

タイトルにある浮世とは?

タイトルイメージ本の表紙に浮世絵の美人さんが描かれていたので、最初はパッと見で「浮世絵画家、江戸時代」なんてイメージを思い浮かべましたが、その両方にまったく関係ない物語でした。

小説の中に描かれている「浮世」の説明は、主人公が若い頃に師匠の影響を受けた「夜の歓楽と酒の世界」。しかし読み返してみると、辞書に描いてある他の意味、例えば「つらくはかないこの世の中。変わりやすい世間。」というのも当てはまる気がしますねぇ。

【後半の『感想(その2)ネタバレを含みます』の前に、時代背景をまとめます。】

時代背景を探る

私の生きている今の時代は、小説「浮世の画家」の時代背景と違い過ぎてピンとこないことだらけ。物語が実際の史実通りに作られているとは限らないけど、考察の参考用に調べてまとめました。史実のできごとはwikipediaから印象的な物をピックアップしています。

年代 「浮世の画家」主人公のできごと 史実のできごと
1914年~
1918年
第一次世界大戦
1932年頃 大きなお屋敷に引っ越す。(※新居に移った翌年が1948年の15年ほど前。そこから計算) 昭和9年、この年には東京宝塚劇場や国際ホテルが建てられている。
1939年~
1945年
息子は兵隊として戦争に行っている 第二次世界大戦
1945年頃 妻が戦災で亡くなる 終戦
1948年
10月
小説の始まり、戦後。戦争で妻と息子を失い、住居も一部損傷。独身の二女と暮らす隠居の身。 この年の12月に東京裁判が行われ、連合国が「戦争犯罪人」と指定した日本の指導者を裁き、絞首刑執行。
1949年
4月
・・・ 東京証券取引所設立
1949年
11月
・・・ 4コマ漫画『サザエさん』の連載開始。
1950年
6月
小説の結末 巨人の選手がプロ野球史上初の完全試合を達成。警視庁がパトロールカーを導入。

※アメリカ主導の連合国軍の占領期間は1945年~ 1952年。

Sponsored Link

「浮世の画家」の感想(その2)ネタバレを含みます

私(読者)に語りかけてくる主人公

この物語はどうやら、初めから終わりまでずっと主人公がひとり語りしています。自己完結的な、心の中の独白なのかもしれないけど、話しを聞いている気分で読み進めました。

たっぷりと回想が語られますが、そこに登場するセリフや状況説明はすべて彼の記憶の切れ端。明らかに不確かな部分や混同していそうなところが多々あります。記憶に感情が入りこんで事実とズレているところもありそう、まさに「信頼できない語り手」です。

一旦読み終わった後、「主人公の思い込みや勘違い、誇張が入ってるかもしれない」「主人公に都合の良い記憶なのかも」と思いながら読み直しました。

主人公の小野益次(おのますじ)が遠ざけている過去

読んでる途中に私が謎に思ったことは、どうやら意図的に欠落している部分だったようです。

おじいちゃんの絵が見たいと、幼い孫にしつこく言われても誰もが絶対に見せませんでした。なぜなのか?終戦直後の価値観には合わない絵ばかりだから占領下で処分された可能性もあるけど、触れたくない負の過去だから完全シャットアウトしてたんだろうな。

長女の節子と話がかみ合わない

二女・紀子の縁談のために、遠ざけていた過去に向き合う行動に出た益次。しかし、これもひとりよがりで、娘にとっては余計な行動だったのかもしれません。

それはともかく、この辺りのエピソードで一番気になるのは、斎藤博士の件で妙に長女の節子と益次の話しがかみ合ってないところ。ひとり語りのため、どれが現実に起こったことで、どれが思い込みなのか分かりにくいことも手伝って、何が何だか分かりません。

思案の末に私がひねり出した考察は、「お父さんが思い詰めて変なこと考えてる!?」「まさか自害!?」「そうだ、お父さんは影響力がなくて有名じゃない画家だって思わせて、肩の荷を軽くさせよう」という長女の作戦。ホウレンソウをほうばっていた孫(長女の息子)も、お爺ちゃんのことを心配してたみたいですもの。

結末の感想

ラストは、主人公の老いと時代の変化に哀愁を感じながらも、温かさと明るさに爽やかさな読後感を得ました。

独善

画塾にいた頃、若者だった益次が異常な情熱を傾いて描いた絵のタイトルが『独善』。この時に益次は「日本国民に意義ある貢献をするような作品」を描くことが目的だと考えていました。

「独善」とは、どんな意味か。

  • 自分ひとりが正しいと考えること。ひとりよがり。
  • 自分ひとりの身を正しく修めること。

(出典:weblio辞書

贅沢な金持ちの大人と貧困層の子供が、同じ画面の中で対照的に描かれている絵。師匠の教えや画塾の仲間を裏切る画風だった、という点では「ひとりよがり」なタイトルとしてぴったりだと思うけど、益次はどんな思いで名付けたのかな。自分の身を正したいと思って描いたのかしら。

想像を楽しむ(1)お屋敷と登場人物のモデル

お爺ちゃんである益次と孫のやりとりが微笑ましくて、大人達のギスギスしがちな雰囲気を和ませてくれます。

登場人物にモデルは居ないのかもしれないけど、会社の偉い人だった著者の祖父と日本を離れた頃の幼少期の著者に、主人公である「地位名声のあるお爺ちゃん」と「ヤンチャ盛りの幼い孫」のイメージが重なっちゃうんですよね。

それから、小説の役者あとがきに書かれていた、こちらも気になります。

日本を舞台にした小説を書く時に思い出すのは、イシグロが幼いころ訪れた祖父の家の記憶と(略)

益次が住む大きなお屋敷のイメージの元なのかもと想像すると、ノスタルジック・・・。

また、物語が始まる前・・・タイトル直前のページにそっと描かれた「両親へ」という3文字も気になりました。なんだか特別な思いがこもってそうじゃないですか?

ええ、見当違いでも構いません、あれこれ想像して読後を楽しんでいます。

想像を楽しむ(2)「ためらい橋」のモデル

街の舞台もすべて空想の産物かもしれませんが、このツイッターを見て面白そうだったので「思案橋」について調べてみました。

著者の生誕地は長崎市。地図で確認すると、その生誕地のあたりから徒歩20分ほどで行ける距離にある繁華街「思案橋」は名前と由来が似ているので、作中に登場する「ためらい橋と歓楽街」にイメージが重なります。

作中に何回か登場する「ためらい橋」は名前が登場するだけで、なんだかモヤッと陰気な気分になる橋ですが、歓楽街と同じく遠い懐かしさを感じさせる象徴になっています。その小さな木橋は、作中で名の由来がこう記されています。

気の小さい男たちがよくこの橋の上で、夜の楽しみにふけるか、それとも妻の待つ家に帰るか、心を決めかねてうろうろしていたからだという。

そして、こちらが長崎市にあったという「思案橋」の情報。現在、橋はないそうですが「思案橋」と書かれた看板がある繁華街が存在します。

この先にあった日本三大遊郭と言われた丸山遊郭(現在の長崎市丸山町・寄合町)に行くか行かないか思案したことから思案橋と言うことに由来する。

出典:wikipedia

似てるよね~っと独りでテンション上がってましたが、も少し調べたら各地にあったみたいですね。ありゃ。

江戸元吉原,長崎丸山の思案橋など各地の遊里の入口にある橋。遊ぶか戻るか男が橋の上で思案するのに由来するというが,遊里以外の地にも思案橋の名がある。

出典:コトバンク(百科事典マイペディア)

今回読んだ本のデータ

タイトル 浮世の画家
著者 カズオ・イシグロ
翻訳 飛田茂雄
電子書籍価格 617円税込
  • 原書名は『An Artist of the Floating World』
  • 英国の文学賞『ブッカー賞』の候補作に選ばれる
  • 『ウィットブレッド・ブック・オブ・ザ・イヤー』受賞

※『ブッカー賞』世界的に権威のあるイギリスの文学賞。イギリスおよびアイルランド国籍の著者によって英語で書かれた長編小説が対象。

※『ウィットブレッド賞』イギリスまたはアイルランド在住の作家に与えられる文学賞。2006年以降は、コスタ賞(Costa Book Awards)に改名。