イギリス本国では1989年5月、日本では1990年7月に翻訳出版された作品で著者はノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロさん。
長編小説では3作目のとなる今作は同年にブッカー賞を受賞するなど本国で高い評価を得ており、1993年にはアンソニー・ホプキンス主演で映画化されています。
ストーリーは執事のスティーブンスによる一人称で、旅をしながら回想するシーンが描かれ、現在と過去を交互に描く構成となっています。語り手の言葉がとても丁寧で、まさに執事ならではの言い回しが印象的で、翻訳のおかげで読みやすかったというのもあるでしょう。
著者のカズオ・イシグロさんといえば、「わたしを離さないで」が私にとって初めての本で、翻訳がとても良かったことを覚えています。
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「日の名残り」のあらすじ
主人公はダーリントンホールで執事として働くスティーブンス。
1956年7月、現在のダーリントンホールの主人であるアメリカ人のファラディにまとまった休暇を貰い、イギリスの西部地方へドライブに出かけるところから物語は始まる。
昔、ダーリントンホールで女中頭として働いていたミス・ケントンに会いに行くと言ったら「ガールフレンドに会いに行くのか?」と軽いジョーダンを主人に言われ、慌てて取り繕う姿が目に浮かぶ。主人の車を借りて、イギリスの美しい田園風景を眺めながら、ダーリントン卿に仕えていた20年前の全盛期の記憶が蘇えっていく。
ミス・ケントンからの手紙には、結婚が上手くいっていないと言うことが書かれていたので、また昔のようにダーリントンホールでの雇用についても話したいと考えていたスティーブンス。
ミス・ケントンとの出会いと衝突
ここで時は1922年に遡る・・・・、
女中頭と副執事が駆け落ちで辞めてしまったあと、スティーブンスの父親とミス・ケントンが同時期に入ってきた。
当時、まだ若かったミス・ケントンに対してスティーブンスは父親を見習うようにと言ったが、これにはプライドの高いミス・ケントンを刺激してしまったらしく、見習うどころか父親の失態を細かく指摘するようになり、やがて大きな失敗をするかもしれないとスティーブンスに忠告した。
子供の意地の張り合いのようなところもあるが、スティーブンスの父親は70代で、以前のように仕事は出来ないのは確かだった。
案の定、父親はお盆を持ったまま転倒し、食器を豪快にぶちまけてしまったのである。この事故を受けて、父親の仕事は大幅に変更され、本人だけでなく、父親を信頼していたスティーブンスもショックを受ける。
転機
1923年、ダーリントンホールで初めての国際会議が行われた日、スティーブンスにとって大きな転機を迎えることになる。世界各国から要人が集まった数日間の間に、尊敬していた父親が倒れ、息を引き取った。
しかし、客人を接待する立場として、職場を離れるわけに行かず、父親の最期を看取ることよりも執事として仕事を全うしたスティーブンス。その代わりに、ミス・ケントンが父親の付き添いを願い出てくれたのである。
もし、自分が付き添いをしていたら父親は激怒しただろうとスティーブンスは思う。無事に国際会議は閉会し、執事として仕事をやり遂げた達成感と、意地の張り合いをしていたミス・ケントンとの関係が良好になった。
主人の変化
反ユダヤ主義的な思想を持つようになったダーリントン卿は、客観的に見れば接触する人間の影響を受けたと言ってもいい。ドイツの駐英大使として活躍していたリッペントロップもダーリントンホールに出入りしていたことがあり、彼のようなヒトラーに忠実な下僕と会っていたとなればなおさらである。
ダーリントン卿はスティーブンスに対して、ユダヤ人を雇い入れないように、働いているなら解雇するようにと指示。その結果、仕事が出来るユダヤ人の女中2人を解雇しなければいけなくなり、そのせいでミス・ケントンと言い争いをしなければいけなくなったスティーブンスは複雑な心境。
後にダーリントン卿は二人を解雇したことを後悔していたので、それだけが救いだったかもしれない。
結局、ダーリントン卿は戦後に誹謗中傷の嵐に疲れ果て、哀れな最後を遂げたわけだが・・・。
ダーリントンホールを去ったミス・ケントン
ミス・ケントンはユダヤ人の女中が解雇されたことで、自身も辞めますと言ったが、結局、彼女は辞めることはなかった。しかし、スティーブンスのプライベートルームでもある食器室の出来事からミス・ケントンの態度が変わっていった。
食器室で読書を楽しんでいたスティーブンスのところにミス・ケントンが現れ、恋愛小説を読んでいたことを知られたくなかったので、咄嗟に隠したが、ミス・ケントンに取り上げられてしまう。
急接近した二人の距離感は、スティーブンスが男女を意識してしまうほどの雰囲気だったため、慌ててミス・ケントンを退室させてしまった。
それ以降、ミス・ケントンの態度に変化が現れ、やがて彼女は知人の男性と結婚し、長年勤め上げたダーリントンホールを辞めてしまったのである。
ミス・ケントンが辞める前、知人男性から求婚されたことをスティーブンスに相談したが、良い返事を得られなかったため、結婚に踏み切ったらしい。
そういった経緯があることから、「もし、あの時、違った対応をしていたら」ということばかり考えてしまうスティーブンスだった。
久しぶりの再開、そして永遠の別れ
20年ぶりの再会を果たしたスティーブンスとミス・ケントン。
手紙では結婚生活が上手くいっていない事が書かれてあったが、家を飛び出したことは過去に何度かあったという。今は、孫が誕生するという楽しみができたので、結婚生活は特に問題はないらしい。
しかし、ミス・ケントンはこんなことも言った。夫を愛しているが、時々、思うことがあるという、別の人生を歩んでいたかもしれない、そう、スティーブンスと一緒に歩む人生。そんなことを考えるときもあったと彼女は言う。
そんな言葉を聞いたスティーブンスは、胸が張り裂けんばかりになった。しかし、お互いに前向きに生きましょう、と励ましあい、そして別れた。
結末
夕暮れ時、たまたまベンチに隣り合わせた男との会話が印象的。男が以前、執事をしていたというから、思わず耳を傾けたスティーブンス。
しかしミス・ケントンと久しぶりの再会をはたし、そして永遠の別れをしてきたばかり。また、この旅ではダーリントン卿の思い出が幾度となく蘇り、思わず感極まって、男の前でつい涙を流してしまった。
自分は卿に仕えることが全てだった、今は、努力しても昔のようなサービスを提供できない、振り絞ろうにも力がないという。
そんな失意のスティーブンスに対して、隣の男は、いつも後ろを振り向いていてはダメだ、後ろばかりを向いてるから気が滅入ってしまうのだ。昔ほど仕事がうまく出来ないのは当たり前。いつかは休む時がくる。もっと前向きになって、残された人生を楽しもうじゃないか。
そんな男性の言葉に勇気づけられたのか、これからの人生を前向きに生きようと決意するスティーブンス。
アメリカ人の主人にジョークを言えるように練習しようと。そんな気持ちで、美しい田園風景を眺めながらダーリントンホールを目指して車を走らせたのです。
「日の名残り」感想と解説
この作品は「信頼できない語り手」という小説の手法が使われており、主人公のスティーブンスは20年以上前の記憶を頼りに語っていることから、「記憶の曖昧な語り手」ということになります。
また、主人だったダーリントン卿とは主従関係はもちろんのこと信頼関係をしっかりと築いており、執事という立場から卿のダークな部分は曖昧な描写になっています。卿は先の戦争で負けたドイツに寛大に振る舞い、友情を示すのは英国紳士として当然の行動だったが、それが仇となりドイツに良いように利用されてしまった。
卿の親友の息子であるカーディナルは、卿のことを敬愛しており、ドイツの手先になっている現実に危機感を抱いていたが、スティーブンスは頑なに、そうではないと言いはるだけだったのです。
語り手がそのような心情であるから、卿の行いは決して間違ったことではないと語っているが、ラストシーンでベンチの隣りに座った男にはホンネをポロッと口にしてしまっています。
「ダーリントン卿は悪い方ではない、悪い方ではないのです。」
同じことを繰り返し話すのは自分に言い聞かせている他ありません。涙を流しながらそう訴えるスティーブンスの姿を想像すると胸が痛くなりますが、後悔しているのは主人のことだけではありません。ミス・ケントンが「スティーブンスとの人生をふと考えることがある」と言ったときに、胸が張り裂けんばかりになったと語っています。20年たった今でも彼女のことが忘れられないのでしょう。
執事としての品格というものを常に考え、それをしっかりと行動に表してた、まさに執事の鏡だったスティーブンス。
しかし、そうしたプロ意識が主人に物申すことを恐れ、ミス・ケントンとのラブロマンスを遠ざけてしまった。今回の旅を終えるまで、ずっと後悔していたのは、紛れもない事実です。
今回は旅先で色んな人と出会い、英国の美しい田園風景とともに、過去のそうした忘れるべき記憶と決別出来たことを思えば、とても有意義な旅行だったのではないでしょうか。
映画はラブロマンスに趣を置いているような気がします。「このまま何も言わずに愛し続けたい」というキャッチコピーと、ジャケ写を見れば、ジャンル的にはラブロマンスなのだと判断できますが、小説は半々といったところでしょうか。