スヌーピーを教えてくれた坂野惇子の娘・光子ってどんな人?

この記事を書いている時はまだ朝ドラ「べっぴんさん」の娘・坂東さくらの役が誰なのか分かっていません。戦時中にすみれと紀夫の間に生まれた可愛らしい女の子。モデルとなった娘さんもファミリアに貢献した1人です。

今回は惇子と道夫の子供ついてご紹介していきたいと思います。

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坂野惇子の娘・光子が誕生

1940年5月12日、惇子と坂野道夫が目出度く結婚。新居を構えたのは外国人が多く暮らす街「岡本」でした。そんな岡本で新婚生活を始めた二人の間に待望の赤ちゃんが生まれたのは1942年10月。元気な女の子で名前を「光子」テルコと命名。後に、この子の子育て経験が惇子さんの人生に大きな影響を与えることになるのです。

 

西洋式の子育て

坂野家の隣りに住んでいたイギリス人のオーツ夫人にも赤ちゃんが生まれて、庭に風呂敷のような物が干してあったので聞いてみると夫人は「おしめ」だという。当時の日本のものとは違い、赤ちゃんの動きが楽になるという。西洋式の育児に興味を持った惇子は、他にも色々聞いている内に、自分もその子育て法を試したくなったのです。

そこでオーツ夫人に専門のベビーナースを紹介してもらい、西洋式の育児で光子の子育てが始まるのです。

 

スヌーピーを推したのは娘の光子だった

意外と知られていませんが、スヌーピーと最初に契約したのはファミリアです。

実は娘の光子がアメリカに滞在中、新聞で連載していた「ピーナッツ」が人気で登場人物のチャーリーブラウンはもちろん、中でもスヌーピーが大人気だから日本でも絶対に流行るわよ!と両親に勧めていたのです。

早速、惇子と道夫はスヌーピーの版権を取得し1970年の大阪万博の時期にスヌーピーのぬいぐるみを販売。月に30個売れれば良いと考えていたけど、惇子さんは違った。彼女は「5000個」売れると予想。結果は1973年度の売上個数が11万5000個という予想を遥かに超える大ヒット商品となったのです。

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将来の社長と結婚

1947年から20年間、神戸銀行の頭取として勤め上げた岡崎忠。光子は岡崎の長男・晴彦と1967年3月4日に結婚。結婚式には三笠宮両殿下も見えられたとか。

実は結婚したこの二人、坂野家と岡崎家は六甲山に別荘があり、毎年夏には六甲山で生活していたので、幼い頃からの知り合い。いわゆる幼馴染みだったのです。

後に岡崎晴彦はファミリアの社長に就任することになるのです。

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