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判決
2007年10月4日、校長不起訴
2009年3月6日、県、校長、バレー部、民事勝訴
母親はバレー部が提訴したことで反訴したが棄却された。
この結果を受けて、母親は3月12日に控訴したが10月14日に控訴を取り下げている。
校長とバレー部の反撃
2009年4月15日、殺人罪で告訴された校長は社会的信頼を落とされ、
著しく名誉を傷つけられたとして、母親と高見澤を名誉毀損で提訴。
まさに校長の反撃である。
2011年1月14日に校長の訴えが認められ、165万円の賠償と新聞に謝罪広告を掲載するよう両者に命じた。
この判決を受け、高見澤は1月25日に控訴しているが、12月14日に控訴棄却。
2012年1月6日に最高裁に上告するが、2013年10月3日に最高裁が上告棄却。
これでようやく長かった訴訟合戦が幕を閉じたのです。
また、バレー部関係者が東京弁護士会に高見澤を懲戒処分するよう請求し、2012年に認められ高見澤が懲戒処分。
高見澤は日弁連に審査請求したが、日弁連は棄却し処分が確定した。
イジメは本当に無かったのか?
母親が主張していたのは以下の2点
・上級生がしゃがれ声の裕太くんのマネをしてからかった
・上級生がハンガーで殴った
しかし、裕太君が自殺した後にわかったことだが、実は上級生は裕太君の声のマネをしたのではなく、当時流行っていたお笑い芸人のワッキーの持ちネタ、芝刈り機を裕太君がやったので、それをマネたという。
バレー部内でモノマネが流行っていたことから、イジメではなく、その延長線上に過ぎないと判断できる。
ハンガーについては、裕太君1人を叩いたのではなく、2年生が1年生全員にプラスチック製のハンガーで1回ずつ叩いたという。
他の生徒の話では、確かに叩いた時は痛かったが、暴力と呼べるものではなく、気にしていないと話している。
もちろん、このハンガー事件に関して、顧問の先生は行き過ぎた体罰だということで生徒達にしっかりと指導している。
このことから、裕太君の自殺と学校のイジメと暴力は結びつかないと判断された。
明かされていく母親の本当の姿
直ぐに感情的になる、暴言を吐く、相手が屈するまで徹底的に追い込む行動はもはや普通ではない。
まして自分の息子に「死んで」というのだからタチが悪い。
実は丸子実業と母親の訴訟が行われている時に、母親と夫の離婚裁判も行われていたのだ。
度重なる暴言・暴力により、母親は夫に慰謝料を支払うよう命じられている。
夫の証言によれば、金属製のハンガーでも殴られたことがあるらしく、
よくもまあプラスチックのハンガーで息子が暴力を振るわれたなどど戯言が言えたものだと呆れる内容だった。
両親の言い争い、母親の暴言暴力を日常的に見ていた裕太君は何を思ったのか・・・。
その事実を知ったバレー部側はこの裁判記録を証拠として提出し、
裕太君が自殺したのは家庭問題が原因であると主張したのです。
高見澤の知人・鎌田薫の偏った記事
高見澤の知人でルポライターの鎌田慧が2006年3月17日号「週刊金曜日」に載せた記事があまりにもミスリード過ぎて内容がヒドすぎると、この本の著者・福田ますみ氏は語っている。
週刊金曜日に掲載された見出しがこちら
「母親に原因を押し付けて逃げるのが”教育者”か」
「子供へのいじめに気がついたら、あなたはどうするだろうか。しかも学校の対応が不誠実だったら、息子を守ろうと必死だった母親が、その行動力ゆえに”変わり者”扱いされてしまい、最悪の結果の後でも「原因は家庭」などとデマを流されている。なぜだろうか」
「被害者遺族を訴えるのは奇襲サーブではないのか」
この鎌田という人物は取材をして記事を書いたらしいが、もちろん学校関係者、バレー部の他の保護者らには取材などしておらず、高見澤と母親の意見のみを参考にして書いているので、「学校で起きたイジメが原因で自殺した」という結論ありきの記事になってしまっている。
母子分離計画
異常な行動を取る母親から裕太君を救い出すことが出来ないか?
実は支援課と児童相談所を中心にある計画が進められていた。母親から裕太君を切り離すという母子分離だ。
本人と単独で会い、彼の意思を確認してから動くことになる。
しかし残念なことに、この計画を実行しようとしていたのが、12月5日以降と考えていたため、
6日の朝に亡くなった知らせを聞き、相当ショックだったに違いない。
あと少しで助けられたかもしれないのに・・と。
母子分離計画は今回だけではなかった?
実は児童相談所には裕太君に関する記録が残っていた。
当時14歳だった裕太君の身の危険を感じた第三者が「要援護児童通告」を出していた。
「要援護児童通告」とは児童に問題があったり、児童が虐待を受けている可能性がある場合は相談所に通告する決まりになっている。
バレー部側は、より詳しい情報を得るために児童相談所に開示を求めたが、なんと母親がそれを拒んだのだ。
一体どういうことなのか?
普通の母親なら亡くなった息子について何か分かることがあるかもしれないと思うはず。
しかし裕太君の母親は開示を拒み、結局情報は公開されることはなかった。
バレー部側の弁護士いわく、裕太君を精神的に追い込んでいるのは母親である自分だと認識しているからだ、と。
離婚裁判の夫の陳述書には
錯乱状態になった母親が絶叫したり包丁を振り回したり、というような光景を息子は見ており、そんな環境で子供が健やかに成長するわけがないのは第三者でも理解できる。
裁判で敗訴が確定した弁護士と母親
バレー部が母親に対して損害賠償を求めていた裁判は、
「社会通念上受任すべき限度を超えている」として関係者に5千円から5万円支払うよう母親に命じている。
また、校長が名誉毀損で母親と弁護士の高見澤を訴えた裁判でも慰謝料と謝罪広告を出すよう命じられたが・・・。
弁護士の高見澤は校長に慰謝料を支払っているが、母親はバレー部関係者及び、校長に慰謝料を一銭も支払っていないという。
謝罪広告に関しては、二人はいまだに掲載していないらしい。
私としては高見澤はバレー部の大会出場の妨害を行ったことに対しても、改めて当時のバレー部関係者にしっかりと謝罪すべきだと感じています。
裕太君の直筆と思われるメモに関して
今もネット上に裕太君のメモが残されていますが、客観的に見れば本人が書いたものなので本当なのだろう、と思う。
しかし「家出をした理由」「休んでいた理由」というタイトルで書かれた内容は、
矛盾点も多く、裕太君本人が書いたとしても、母親に書かされたのではないかとバレー部側の弁護士は判断している。
「休んでいた理由」に関してはしつこく謝罪を要求するような内容で、
これは明らかに裕太君ではなく、「謝罪しろ!」「謝罪文をかけ!」という母親の想いが込められた文章である。
このように生前から本人に書かせて証拠として残していた母親の用意周到さに恐怖すら感じますが、
彼女は生前から裁判になることを想定し証拠集めをしていたのでは?と思う。
ちなみに「休んでいた理由」と「家出をした理由」の筆跡は明らかに違います。
同じバレー部の生徒がこのメモを見て、「裕太の字じゃない」と言った子もいるらしい。
裕太君の遺書
裕太君のポケットに有ったという遺書は次のように書かれていた
「お母さんがねたので死にます」
「ねた」が「やだ」とも読めるので母親とバレー部が法廷で激しく対立したポイントらしいが、
普通なら「やだので死にます」は不自然で読めない。
しかし、この地方では「やだから」「やだかった」という言葉を使うらしく、裕太君が残したメモにも何回か登場した言葉だ。
著者の福田ますみ氏が指摘するように、遺書にわざわざ「母親がねたから」と書くだろうか。
また、「ねた」の「た」の部分は濁点が確認できるという。
著者は裕太君が生前通ったとされる長野県弁護士会「子供の人権救済センター」に問い合わせたが守秘義務で断られてしまった。
しかし、裕太君と電話で話をしたという弁護士いわく、
「あの遺書は「お母さんがやだので死にます」と普通に読める、そこから推測して欲しい」
と語ったそうです。