村田君枝のモデル・村井ミヨ子は惇子のことを「かあちゃま」と呼んでいた

「べっぴんさん」第5話から登場したクラスメイトの村田君枝。
体が弱く、すみれと良子が心配そうに見守る姿が印象的。彼女もまたキアリス創立メンバーの1人ですが、実在モデルはどんな人物だったのでしょうか?

今回は妹的な存在でムードメーカーだった村井さんに迫ってみたいと思います。

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村井ミヨ子ってどんな人?

ミヨ子は総合商社の日綿実業の支店長などを務めた中井栄三郎の子として1923年3月4日、東京で生まれた。名前の由来は3月4日だからというとてもシンプルなもの。未熟児で生まれた彼女は幼い頃から病弱だった。父親の転勤でミャンマーやインドでの生活を経験し、帰国してからは神戸松蔭高等女学校、そして松蔭専攻科に進学。惇子たちと同様、彼女もお嬢さま育ちなのです。

 

惇子との出会い

ミヨ子が十代のころ、岡本にあるアトリエで週3回洋裁を習いに行っていました。岡本と言えば惇子と道夫の夫婦が新婚生活を営んでいた街。ミヨ子は犬の散歩をしていた垢抜けた夫婦をみて憧れを抱いていたとか。そんなある日、道夫が「あなた、子犬いらない?」と声をかけてきたのです。

これがきっかけで親交を深めることになったのですが、ミヨ子は惇子よりも5歳年下、更に惇子は子供がいたので、惇子に対して「母ちゃま」と呼ぶようになったのです。

 

本気で取り組む習い事の数々

学校を卒業したミヨ子は習えるものは全て習うと言わんばかりに習い事に没頭していました。和裁洋裁・手芸・ピアノ・茶道などなど。和裁は三越の仕立て屋さん仕込み、ピアノは音大の教授、油絵に至って有名な小磯良平に師事していました。惇子もそうですが、習い事と言っても、当時のお嬢様達の習い事はレベルが違っていました。

 

最後のメンバーとして

坂野惇子、田村江つ子、そして光子(江つ子の義理の姉)の三人は既にベビーショップモトヤのオープンに向けて準備を進めていました。開店資金はなんとかなりそうだけど人手不足が心配だった惇子がミヨ子を誘ったのです。

体が弱かったミヨ子は生活を一新させたいと思い父や夫に相談したら「無理しない範囲なら」ということで了承を得てメンバーに加わったのです。

 

仕事を始めたことで体に異変が

悪い話ではないのでご心配なく。
ベビーショップモトヤがオープンしてから、ミヨ子は無理をしないよう週3日のペースで勤務していました。月に一度は必ず決まって熱を出していたそうです。

心配していた夫の完一は仕事帰りに店に立ち寄り迎えに来ていたのです。しかししばらくすると、月一で熱を出していた彼女の熱も2ヶ月に1回、4ヶ月に一回のペースとなり、いつからか毎日出勤出来るほど体力が回復してきたのです。今まで自分の体は弱いからと思っていた彼女ですが、責任を持って仕事をすることで精神的に強くなったのでしょう。病は気からと昔から言いますし、私は連休に入ると風邪を引いていたので仕事をしている間は相当気が張っていて病気にならないと言うのは一理あるのかなと感じています。

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ミヨ子のちょっとかわいいエピソード

惇子の夫・道夫が在庫管理をしていたミヨ子に仕入れタイミングを聞くと「引き出しの底がみえたら一杯買うの」と曖昧な返答をしたため、「そんなのは仕事とは言えん」と、つい道夫が怒鳴ってしまい、なぜ怒られたのかわからないミヨ子は「明日から来ないから」とすねてしまう。

しかしその後すぐに道夫が「ミヨちゃん、これ食べない?」とケーキを持ってくると、とたんに機嫌が直るという可愛らしい一面もあるようです。

ファミリアの取締役に就任した道夫は経営の抜本的な改革に乗り出していました。上記のような適当な在庫管理など、ずさんなやり方では会社として成り立たちません。鬼軍曹のように厳しい指導をしていたようですが、アメとムチの使い分けはちゃんとしていたようですね。