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スパイ扱いされた竹鶴リタの苦悩・戦時中は特別刑事に監視されていた

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竹鶴リタ

朝ドラ「マッサン」のモデル・竹鶴リタは晩年北海道余市で夫・竹鶴政孝とともに暮らしていましたが、

日本が戦争に突入すると、外国人であるリタは刑事の監視がつくようになったのです。

どこへ行くにも後ろから付いてくる刑事に精神的にやられてしまった竹鶴リタ。

そんな彼女の辛いエピソードを書籍の内容とともにご紹介していきたいと思います。

(参考書籍:リタの鐘がなる)

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戦争で贅沢は敵になり、配給制、国民服まで

朝ドラ「ごちそうさん」でも取り上げていましたね。

「贅沢は敵だ!」

から

「贅沢は素敵だ!」

に看板が書き加えられた面白いエピソードがありますが、

当時は国民服が制定され、生活必需品・食料など配給制になるなど、

国家総動員法が制定されると、より厳しい生活を国民は強いられる事になったのです。

国民服

それでも日本は必ず勝つ!ということを国民は信じて疑わなかったわけですからね。

当時はもっぱら「湖畔の宿」という寂しい歌が街で流れていたようですが、

歌手の高峰三枝子さんは特攻隊員の慰問に訪れた時に歌った曲でもあります。

 

 

なので特攻隊員の方々は遠く離れた家族のことを思い、この歌を口ずさみ

そして国のために旅立つ当日、この歌を聞いて飛び立ったのです。

そんな話を聞くと、胸が熱くなり、こみ上げてくるものがありますね・・・。

 

ウィスキー事業が嬉しい誤算、戦争特需で事業拡大

戦争突入でウイスキー製造も終わり?と思いきや

竹鶴政孝のウィスキー事業は、戦争特需で思わぬ注文が増え、

更には余市工場は軍の指定工場になったのです。

事業拡大で、借金経営から脱却し、上方修正した収支に、従業員一同わいたことでしょう。

 

しかし戦争でウイスキー製造が軌道に乗りはじめたと同時に

リタは苦境に立たされることになるのです。

 

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スパイ扱いされる竹鶴リタ

太平洋戦争が始まって半年、毎週日曜日に教会に出かけるリタは、

尾行されていることに気づいたという。

そして教会に通う他の外国人もまた特別刑事の監視の目が光っていたそうです。

 

この特別刑事の監視も、日を追うごとに露骨になり、

更には竹鶴家の前にも張り込み刑事が居たというのだから驚きです。

 

「どちらに行かれますか?」

 

出かけるときに毎回こんなことを聞かれては、どこも行きたくなくなりますよね。

また、こんなエピソードがあって、

イギリスに電波を送っているのでは?という疑いで

家の中に警察がズカズカと上がり込んでラジオアンテナを調べまわったそうです。

上の命令とはいえ、当時の警察は本当に愚かだったと思います。

 

戦況悪化で工場にも影響

日本の旗色が悪くなると、どんどん若者が駆り出され、当然ウイスキー工場で働く

男性従業員にも年齢関係なく赤紙が続々と届きます。

 

リタは戻ってこない従業員の訃報を聞く度に胸が痛くなったのでしょう、

この時、あまりの辛さに自宅に引きこもるようになったそうです。

 

そして家族を失った世の女性達の冷たい視線が鋭く背中を刺し、

「鬼畜米英」の張り紙をみていっそう人間不信になってしまったリタ。

 

それでもモンペ姿で地元の日本人女性とともに竹槍をもって健気に突きの練習をしていたといいますから

彼女の強さを改めて感じます。

それでも警察は彼女に対して警戒の目を緩めることはしなかったそうですけどね・・・。

 

例えて言うなら幽閉生活と言うべきか、

精神的に酷くやられてしまったリタは心身ともに弱ってしまい、

食欲不振、胃下垂、夜は眠れない日々がつづき、

唯一の心の拠り所は、工場で働く女性従業員との他愛のない会話や

自宅の芝生でゴルフパターをすることでした。

 

こうした日本で暮らす外国人女性の迫害に関する資料はあまりなく、

竹鶴リタも親族に話したのみで、あまり記録は残っていないようです。

 

戦時中、キリスト教に対する弾圧は厳しく、

次々と牧師が検挙され、中には獄中で自殺(拷問死ともいわれている)した方もいらっしゃったようです。

ちなみに小山宗祐牧師という方です。

こうしたキリスト弾圧の現状を、信仰するリタはどう見ていたのでしょうか。

 

そして原爆がヒロシマ・ナガサキに落とされ、日本は敗北。

1945年8月15日、天皇のラジオ放送の日から、パタリとリタの監視役の刑事も居なくなったそうです。

 

竹鶴家は太平洋戦争時に事業は拡大出来たものの、

私生活ではリタへの迫害で大変窮屈な時を過ごしていた事がわかります。

彼女は決して体が丈夫な方ではありませんし、戦争時の体への負担は計り知れなかったことと思います。

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