ドラマ「天皇の料理番」原作のあらすじ・ネタバレあり秋山徳蔵の波乱の生涯が詰まった本

2015年4月からスタートするドラマ「天皇の料理番」。

その原作となる本は昭和54年に初版が出版され、昭和56年にテレビドラマが放映されました。

この時、主人公を演じたのは堺正章、脇役に明石家さんまが出ていたので、

ぜひとも観たいと思っていましたが、どこを探しても見つからず

絶対面白そうな内容だと思うのに、非常に残念です(;´∀`)

 

さて、今回原作本を読んでみましたので、あらすじと感想も踏まえてご紹介したいと思います。

多少ネタバレしますのでご注意を!

ちなみにこの単行本、2段組の構成で文字も小さく読むのに苦労しましたが

主人公の秋山徳蔵の破天荒な行動が面白く、回り道をしながらも、

成功への道を歩んでいく姿に心惹かれ、気づけば読み終わっていました。

 

主要人物は情報も必要かと思いますのでwikiへのリンクも貼らせていただきました。

あと、長くなってしまったので2ページに分割しました、ゴメンナサイ(;´∀`)

 

※原作小説は一部フィクションで本人と区別するために主人公の名前は秋沢篤蔵となっています。

これからご紹介する内容はあくまでも天皇の料理番の中の話であり、

実際に起こった出来事では無い場合がありますのでご注意ください。

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子供時代

詳しくは別記事でご紹介しますが、

まぁ、どうしようもないくらい悪ガキですよ(笑)

イタズラが大好きで大人を困らせ、お寺の修行中にお供え物を拝借し、

賽銭箱からコッソリ小銭を盗んでお菓子代に・・・

まぁ・・・、子供ですからね・・・(笑)

秋山徳蔵の子供時代はこちら

 

そんなワルガキ時代を過ごした篤蔵の最初の転機は養子先の仕出し料理屋。

得意先の一つである鯖江(地名)の連隊に所属していた田辺軍曹と出会い、

カツレツをご馳走してもらい、その味に衝撃を受けたのです。

「こりゃ、うまい!」

篤蔵にとって初めての西洋料理で決して忘れることのない味となり、

更に田辺軍曹から、料理人の修行なら東京にいけという言葉に、

心動かされていました。

 

この時、既に篤蔵は町内の呉服屋の娘・ふじ結婚していましたが、

どうしても東京へ出て料理の修行がしたいと、なにも告げずに

黙って東京にいる兄・周一郎を頼って一人で旅立つのでした。

1人で行ったんかい(笑)

おふじさん可哀想・・・・・。

 

東京での修行の日々

兄の知人で裁判官の桐塚尚吾(モデル・栗塚省吾wiki

働き口を紹介してもらうことになった篤蔵は、

なんと皇族や外国からの来賓客も招かれる華族会館wikiの下働きをさせてもらうことになったのです。

 

兄はなぜ桐塚先生と知り合いなのか?

実は兄・周一郎の中学時代の先生が桐塚と幼なじみで紹介してもらったことが始まりなのです。

普通なら考えられない接点ですからね。

 

早速、篤蔵は華族会館で住み込みで働くことになり、

フランス料理を一から学ぶ修行が始まったのです。

この華族会館というところは、

先程も書いたように、皇族方にお出しする料理なので食材全て採算度外視の高級品

そんな特別な環境でフランス料理を学ぶことが出来る篤蔵は幸運と呼べるでしょう。

 

さて、

見習いといっても親切に教えてもらえるわけでなく、

永遠と皿洗いと食材の準備だけをやらされる毎日で、

技術を身につけるには先輩の仕事を見て盗むしか無かったようです。

 

ただ、篤蔵という人物は勉強は出来ないけど、

上下関係や人付き合い、そして何よりも器用さもあり、

要領よく下働きをしながら目上の人に好かれるよう努力します。

兄のように勉強は出来ないけど、決して単純で猪突猛進タイプではないことが分かります。

短気ではあるんですけどね・・・・。

 

そんな下積み時代を一緒に過ごしたのが、新太郎と辰吉です。

ドラマでも登場しますが、一応先輩で兄弟子といったところでしょうか。

 

3人で一緒に飲みに行ったり、時には夜遊びしたり、もちろん兄弟子を立てることは忘れなかったようです。

兄弟子の二人も色々と事情がありますが、

新太郎は画家になるという夢が捨てきれず途中で料理の道を辞め自分の夢を追い求める旅に出ます。

 

下積み時代は色々あったようですが、

誰よりも貪欲で努力家だった篤蔵は先輩からフランス語で指示される内容を理解したい

専門書が読めるようになりたいという理由でフランス語の勉強も開始。

下働きでも他の人間とは違うというのはこういうことなんでしょうね。

 

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もっと学びたいという気持ちから思わぬ展開に

華族会館では、1年も経たずにその類まれな要領の良さと向上心で

学ぶべきことはある程度吸収できたと感じた篤蔵は、

当時日本で名を馳せていた五百木兄弟に師事を仰ぎたいと考え、

通える距離に勤務していた弟の五百木竹四郎(いおきたけしろう)を尋ねるのでした。

 

五百木は英国公使館の料理長をしており、

初めは篤蔵を門前払いしたものの、彼のしつこさに負けて雑用をさせることに。

 

当然、華族会館を辞めたわけではないため、

仮病を使ってはコッソリ抜けだして英国公使館に通う、といったことを繰り返していました。

 

最初のうちは良かったのですが、そうも頻繁に仮病を使って通ってはバレるのでは?

そうなんです

先輩にバレて、挙句の果てにその先輩と大喧嘩をして華族会館を離れることになったのです。

 

この先輩というのが荒木という人物で篤蔵にとって直属の上司。

上司として叱るならまだしも、篤蔵に対して陰湿ないじめをするもんだから

堪忍袋の緒が切れた篤蔵が一方的にボコボコにしてしまったのです。

上司を殴ったのですからその場所にいるわけにもいかず、

荷物をまとめて自分から出て行ったということですね。

 

寂れた食堂のコックさん

故郷に帰ることも考えたけど錦を飾ることも出来ないので、もうひと踏ん張り頑張るか、

そんな思いでふと目に飛び込んだのがコック入用でした。

フランス料理といっても大衆向けの食堂でライスカレー・カツレツ・ビフテキ程度を出す店で

華族会館から見れば、大幅にグレードダウンした店での再出発です。

 

それでも一般大衆向けなので安価でフランス料理が食べれるとあって、

小さい店だけど客付きは良く繁盛するお店。

 

夫婦で切り盛りしていて大将は博打女好きで家を空けることもこともしばしば。

篤蔵が一人で対応することもあり、それなりに充実した生活をしていたけど、

あることがきっかけでこの店もクビになってしまうことに。

 

実は客同士の討論に首をはさみ、客を言い負かしたことで

大将から

「お前の言い分は正しいかもしれないが、客に頭を下げさせる無礼は許さない」

ということであっけなくクビになってしまうのです。

これまでの生活で本当に天皇の料理番になれるのだろうか?

とちょっと心配になってしまいますね(笑)

 

帰郷

道半ばだけれど急に故郷に帰りたくなった篤蔵。

そう言えば誰にも告げずに黙って上京してから早1年と半年、

東京で勉学に勤しんでいた兄は体調がすぐれず静養のため先に実家に帰っていました。

 

兄いわく、

「私の顔は潰れても構わないが、華族会館を黙ってやめてしまえば先生の顔が立たない。先生には挨拶に行ったのか?」

そんな至極まっとうな事を言われた篤蔵は先生に挨拶に伺うことなどこれっぽっちも無かったらしく、

素直に自分の非を認め、後日改めて桐塚先生のところに伺うということで話がついたのです。

 

3度目の正直、精養軒で1から出直し

英国公使館の料理長をしていた五百木に働き口を紹介してもらうことになった篤蔵。

なんと日本でも指折りのレストランである精養軒(ウィキペディア)で働けることになったのです。

精養軒といえば岩倉具視らの支援によって建てられた、西洋人向けのレストランで

本当に限られた人間しか入ることが出来ないお店。

※岩倉具視と言えば500円札になった人ですね、懐かしい・・・・。

 

1人前3円~15円で、コースを頼めば10円はくだらないメニュー。

※篤蔵が下働きで働いていた華族会館の一月の給料が1円50銭だったことを考えると、庶民が入れるお店ではないことが分かります。

 

この精養軒のグランシェフ(料理長)が西尾益吉という人物で、

フランスへ渡航経験があることからその地位を獲得。

更に日本でも最高と言われる精養軒の料理長なので威厳に満ちた態度は尊敬の念を抱く反面、

「偉そうに・・。」

と悔しさもあったのです。

 

さて、トラブルメーカーの篤蔵、ここではどうだったのでしょうか?

実は、この西尾料理長が所有する西尾ノートを巡ってある事件が発生したのです。

西尾ノートとはフランスで学んで得た知識を詳細に記したノートで

言わば西尾にとっても大事な宝物です。

 

そのノートの存在を知った篤蔵はどうしても内容を知りたいと夜にコッソリ盗み出し、

直ぐに返す予定だったのですがそのまま部屋で眠りこけてしまい、

翌朝の始業時間に飛び起きたけど時すでに遅し、ノートを返せず大問題に。

「いったい誰が盗んだんだ!」

篤蔵はその場で言い出せずに後日、クビを覚悟で西尾に謝りに行き、許してもらったそうです。

実はノートが入っていた机にはお金もあったらしく、それを盗らなかったことと、

ちゃんとノートを捨てずに持って謝罪に来た事を評価したようです。

まあ、アカンけどね(笑)

 

今回もまた学びたい・知りたいという気持ちで軽率な行動をとったわけですが

華族会館での経験はいかされていないようです(笑)

しかしなんて幸運に恵まれた方なんでしょうか?

華族会館はクビになりましたが、

そのおかげで最高のレストランである精養軒で働けることになったのですから不思議なものです。

 

その精養軒ではフランス帰りの西尾に触発され、本場で料理の腕を磨きたいという気持ちが強くなり

いろいろ考えた結果、行くなら若い内が良いということで、経済的な面は実家に頼ることになったのです。

 

長くなってしまったのでページ分割しました、次のページで終わりです。

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春ドラマの原作まとめ

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