世界の食文化を変えたインスタントラーメンを発明した父・安藤百福が残した名言の数々。
そこ中で心に残る言葉をテーマごとに厳選してみましたのでご紹介。
逆境の名言集
「私は事業に失敗して財産を失い、48歳から再出発した。60歳、70歳からでも、新たな挑戦はある。」
無一文になったとき、「失ったのは財産だけではないか、その分だけ経験や血や肉となって身についた」と考えると、新たな勇気が湧いてくる。
「事業に失敗して」とありますが、実は財産を失った大きな出来事は2つあって、どちらも経営に失敗したわけではありません。一つは濡れ衣の脱税容疑で逮捕された時と、破綻した信用組合の理事長を引き受けた時です。
メリヤスの輸入販売、軍需関連の仕事、燃料や建築資材の製造、製塩、インスタントラーメン、その時その時に必要とされている物にいち早く目をつけるビジネスマインドは「さすが」の一言で、どれも「失敗」とは言えない事業です。
「私は一度、飢えた豚になった。そこから這い上がった時、「食」を掴んでいた。」
知人と共同で軍需工場を経営していた時、横流し疑惑で留置所に45日間も勾留。不衛生な場所で満足な食事も与えてもらえず、餓死を覚悟した事もあったとか。その時に「食」に対する意識が高まったと言います。
「転んでもただでは起きるな。そこらへんの土でも掴んでこい。」
誰よりも多くの経験と挑戦の連続だった百福。日清食品の社員を叱咤激励する時も言っていたんでしょうね。ちなみに「失敗を成功の元としてはならない」という名言も残っています。
「事業を始める時、金儲けをしようという気持ちは無かった。なにか世の中を明るくする仕事は無いかと、そればかり考えていた。」
その典型と言える事業が製塩事業です。終戦後、仕事を求めた若者たちが街に溢れかえっていました。犯罪に手を染める前になんとかしなければ。そう思った時、採算を無視して製塩事業をスタートしたのです。
「どんなに優れた思いつきでも、時代が求めていなければ、人の役に立つことは出来ない。」
「事業化出来ないアイデアは単なる思いつきにすぎない」
「本当のアイデアとは実用化されて、成功を保証するものである」
常に社会のニーズに耳を傾けていた百福。そして人の役に立つ事業を行うことで結果的に大きな利益を生み出す。そして百福はこんな事も言っていました。
「会社は良い仕事をしたから儲かるのである。設けとは答えであって、儲け主義とは違う」
結果は後からついてくる。というのはどの世界でも同じ。美味しいラーメンを作った結果、行列のできる人気店になるのです。
「即席麺の発想にたどり着くには、48年間の人生が必要だった。過去の出来事一つ一つが、現在の仕事に見えない糸で繋がっている。」
「私は創業社長である。自分で決断し、全責任をとる。」
「創業者には定年がない。」
75歳まで社長業をバリバリこなし、90代でも様々な事業に積極的に参加してきた百福。亡くなる直前まで精力的に活動されていましたからね。
発明の名言集
「人が集まっていればのぞき込む。触って分からなければ質問する。質問して分からなければ買って帰る」
子供のようにいつも「なぜ?」と疑問を持ちなさい。
「素人だからこそ常識を超えた発想ができる」
「知識よりも知恵を出せ」
「時代の変化に対応するのではなく、変化をつくりだせ」
「大衆の中にこそ時代が変わる予兆がある」
「ぶち壊してしまえば必ず後からなにかの芽が出る」
大した設備も無いほったて小屋で試行錯誤の結果、インスタントラーメンの開発に成功した百福。「発明には立派な設備や資金はいらない」という名言は自ら体現した言葉ですね。
商売の名言集
「取引は取ったり引いたりするものであって、取りすぎて相手を殺してしまっては意味がない」
「つかず離れずの付き合いが長続きする」
メリヤス製品の輸入販売で財を成した百福。常連さんには安く提供したこともあるといい、取引を長続きする一つの方法だったのかもしれません。
「無駄なお金は一円たりとも使ってはいけない。生きたお金なら惜しみなく使いなさい」
「節約というのは消極的にやったのでは効果がない。積極的に立ち向かう必要がある。」
いつの時代も「コスト」を考えるのは重要なこと。特に彼の場合は資金を出さずに知恵を出すことに全力でした。
「事業を複雑にするな。新しい事業ほど、シンプルな構造でなければならない。」