安藤百福と安藤仁子の出会い・馴れ初めエピソード

2018年10月からスタートするNHKの連続テレビ小説「まんぷく」のモデルになった安藤夫婦。

インスタントラーメンの開発エピソードよりも、二人がどこで出会い結婚に至ったのか、という馴れ初めに関するエピソードも興味ある方が多いハズ。

今回は二人の結婚にまつわるお話をご紹介します。

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二人の出会いは奇跡的?

結婚した方全てが奇跡だと前置きはしておきますが(笑)、安藤夫妻の出会いは「めぐり逢い」というタイトルを付けて映画化したいくらいの運命的な出会いだったかもしれません。

百福が台湾出身で、仁子が福島県出身という遠く離れた場所で生まれた二人。しかし出会ったのは大阪の中心部です。一体どのように出会ったのでしょうか。

女学校卒業後、福島から大阪へ移住してきた仁子は大阪市中央区にある大阪倶楽部で受付嬢として働いていました。倶楽部は会員制の社交クラブで経営者などが集まるため人脈作りや情報収集もかねて百福も会員になっていました。

百福はすぐに彼女を気に入り足繁く通っていたそうで、積極的にアプローチもしていました。

「結婚してください」

当然、どこのどなた方わからない人との求婚を承諾するわけにいかず断ったのですが、そこで引き下がる彼ではありません。

断られても倶楽部に通い続けて、猛アタックしたのです。当時としては珍しい男性だったのかもしれません。普通なら仲介役をたててから紹介を経て結婚に至りますが、そうした手順を踏まなかったので警戒されてしまったのでしょう。

作戦変更

アタックしても無駄と悟った百福。今度は知人で元陸軍中将の井上安正に仲介を依頼したことが功を奏したのか、1945年に仁子はプロポーズを了承したのです。

百福は日本で10年、一人で生活していたので独り身の寂しさを痛感していたはず。これで晴れて幸せな結婚生活をスタートさせることが出来たのです。

結婚式は京都の平安神宮で執り行われたそうです。

これだけ積極的にアプローチして彼女と結婚出来たわけですが、愛妻家やイクメンとは程遠く、結婚後は「育児は出来ないと思うからよろしくね」と関白宣言をした百福。

ただ、夫が生活費を稼ぎ、妻が家庭を守るというのが当たり前の世の中だったので、さして珍しいことではありません。むしろわざわざ宣言した百福が珍しいタイプだったのかもしれませんね。

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結婚後は二人の子供を授かる

現在の日清食品株式会社ホールディングスのCEOを務める次男の宏基氏と長女の明美が誕生。宏基は結婚して2年目で生まれ、明美は百福が収監されていた時に誕生。仁子は二人の小さな子供を連れて片道14時間掛けて収監されている東京まで面会に通っていたというエピソードがあります。