実は台湾人だった安藤百福の生い立ち・妻の仁子と結婚して安藤姓に

日清食品の創業者でインスタントラーメンを発明した安藤百福さん。

彼が残した功績は多くの方がご存知だと思いますが、プライベートに関しては知らない人が多いと思います。

今回は皆さんが気になる安藤さんのルーツについてスポットを当ててみたいと思います。

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台湾で生まれた資産家の息子

安藤百福は1910年3月5日、台湾の台南県東石郡朴子街で誕生。日本が台湾を統治して15年が経っていました。

百福が生まれた年、ハレー彗星がもっとも接近する周期だったので、地球に衝突するのではないかと世界中がハレー彗星の話題で持ちきり。両親は「この子はなにか大きな事をするかもしれない。世の中に幸せをもたらす人になってほしい」そんな願いを込めて”百福”と命名したのです。

百福の兄弟は兄が二人、妹が一人の4人兄弟。幼い頃に両親が他界したので祖父母の元で育てられました。祖父は織物業を営む呉服屋。しつけは厳しかったようで、家事全般から仕事の雑用までこなしていた百福少年。また、妹の朝食、お弁当まで作ってあげる心優しい兄でもあった。

独立心の強い子

暇さえあれば祖父が営む呉服屋の店内を観察していたそうです。幼い頃から計算が得意で大人たちの取引を興味津々と眺める少年。

学校を卒業すると祖父の店を手伝い始めた。それからしばらくして知人の紹介で図書館の司書になり、本に囲まれた生活をするようになりますが、これは性に合わなかったようです。

2年で司書を辞めてしまい、「商売をやりたい」という想いが強くなる。折角なので新しいことにチャレンジしたいと考え、メリヤスに着目したのです。

メリヤスはこれから伸びていく魅力ある産業。1932年、22歳の時に「東洋莫大小(メリヤス)」を設立。父が残してくれた遺産を資金に当て、日本からメリヤスを輸入して台湾で販売する仕事をはじめたのです。

事業を本格化させるため日本へ移住

メリヤスの販売は順調で、仕入れてもすぐに売り切れてしまう状況だったので、大阪の船場に「日東商会」を設立し本格的に貿易を始める。

メリヤス事業は好景気でしたが世の中が後押ししなかった。日本は太平洋戦争に突入し戦況は次第に悪化。この商売を畳まざるを得なかったのです。

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運命の出会い

その後は軍需工場の経営をしながら戦時を乗り越え、一時は身柄を拘束され餓死寸前の所までいった百福。そんな波乱の戦時下で出会ったのが安藤仁子でした。

知人の元陸軍中将・井上安正の紹介で二人は結婚。百福は安藤姓を名乗るようになったのです。