実話「仰げば尊し」原作ブラバンキッズ・ラプソディーのネタバレ・感想「音楽はやっぱり面白い」

2016年7月からTBS系で放送されることになった今作。
日曜夜に感動の実話ドラマがやって来ましたね~。

「いま演奏してるのってどこの学校?」

無名だった高校が吹奏楽で一躍有名高になったお話。

「吹奏楽の甲子園」は地区大会や県大会で受賞しないと出場できない。
ヘタクソだった吹奏楽部をここまで成長させた凄腕講師と生徒の熱い熱い物語です。
今回はドラマの原作を読んでみましたので徹底紹介したいと思います♪

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「仰げば尊し」(原作小説:ブラバンキッズ・ラプソディー)のあらすじ

※ドラマのネタバレになるような部分もありますのでご注意ください

町の音楽教室の先生から吹奏楽部の講師へ

横浜市港南区にある県立野庭(のば)高校は1975年に創立され、翌年に吹奏楽部が誕生。
(※現在は統合され神奈川県立横浜南陵高等学校です)
たったの2名からスタートした部も気がつけば毎年新入生が入部し60名を超す大所帯になっていましたが、
「音楽を奏でる」には程遠く、チームワークもバラバラで酷いものでした。

何とかしなくてはということで、
音楽教室を営む中澤忠雄氏の存在を知った彼らは講師を依頼したのです。
中澤はフィルハーモニー交響楽団、NHK交響楽団のチューバ奏者として活躍。
しかし交通事故が原因で演奏に支障が出るようになりプロを引退。演奏家から講師へと転身したのです。

そんなプロの音楽家が学校の吹奏楽部を指導してくれるのだろうか?
中澤は最初乗り気じゃなかったけど、始めて彼らの演奏を聞いた時、
確かにヘタクソだったけど心に響くものを感じたという。

教室の経営があるから両立できるか心配でしたが
自宅へ返事を聞きに来た吹奏楽部の部長・藤田の真っ直ぐな目をみれば断るわけにもいかない。

こうして中澤の野庭高校通いが始まったのです。
ちなみにこの時、音楽教室の生徒は多い時で100人ほどいたらしく、普通なら忙しいからお断りをするはず。
更に県立高校の報酬は月に1万円だったそうなので、好きじゃなければ絶対にやれない仕事。
部長の熱意が通じたんですね。

これはイカン!音楽は後回しだ!

野庭高校はガラが悪いと聞かされていたけどここまでとは・・・
遅刻をするもの、サボるもの、部員同士顔を合わせることもせず、まとまりが全然ない。

これではダメだ、ということで先ずは仲間意識を高めようとソフトボールをしたり
休日には部員達とともにピクニックに出掛けるなど一旦音楽から離れて彼らの気もちを探る所から始めた。

先ずは自分と生徒が打ち解けあい、生徒同士のチームワークを育てていく。
「音楽は心」心が通じていなければ音楽はできないという彼の言葉通り、
中澤流指導方法が始まったのです。

しかし本格的に練習が始まると厳しい指導に反発心を抱く生徒も少なくなく、
中には「辞めたい」と言い出す生徒も出る始末。

さすがに無理強いをするのは良くない。音楽は押し付けてやらせるものではないので
生徒たちの要求を聞き入れて少しだけ練習時間をゆるめた。

とにかく音楽が好きだから夢中になると、とことん突き進む性格の中澤先生。
流石についてこれない生徒がいるのは仕方ないかもしれない。

でも、練習が厳しくなってしまうのは理由がある。
「吹奏楽の甲子園」に連れて行ってやりたいのだ。

だけど県大会すら出場したことがない無名の高校が全国大会なんて行けるのだろうか?
しかし中澤の本気を感じた生徒は(この先生となら行けるかもしれない)と思ったかもしれません。

3年生は続けて欲しい

全国大会を目指すなら今までのやり方では駄目だ。
中澤先生が一番最初に改革したのが3年生の部活動の継続でした。
これまで3年生は進学や就職活動で忙しくなるので部活動の参加は自由でしたが
ほとんど参加しないというのが現状でした。

しかし精神的にも技術的にも成長している3年生が中心になって活動しなければ
野庭高校の吹奏楽部のレベルは上がらないと訴えたけど、卒業する彼らも自分の人生がある。
この大切な時期に部活動ばかりしていて進学や就職に影響が出たら誰が保証してくれるのか。
そんな反発は当然あったけど、中澤は諦めずに3年生を自宅に招き入れて、生徒たちとじっくり話し合った。

その結果、半数以上が部に残ってくれるといい、中澤指導のもと少しずつ変わり始めていました。
そんな頑張っている生徒を応援しようと父母会も結成され、益々活気づく野庭高校の吹奏楽部ですが
まだまだ苦難の道は続きそうです・・。

トラブル続出の夏合宿

一部の3年生が抜けましたが新入生が入部して60人をキープする吹奏楽部。
1982年、中澤先生と部員が1つの目標に向かって厳しい練習が続く中、
さらなる技術向上のため夏合宿を行いました。

4日間の合宿先は山中湖。
しかしこの合宿が思いもよらぬ波乱を巻き起こしたのです。
練習と言っても軍隊のような規律訓練、そして3年生だけ特別扱いする先生に対し
2年生が不満をつのらせていました。

中澤が3年生に対して特別な思いがあったのは確か。
進学や就職を優先すべきなのに部に留まってくれたのだからと言う思いがある。

生徒と講師の摩擦はこの合宿で始まったわけじゃなく
以前から反抗的な態度をとる生徒に手を焼いていたのだ。

そして合宿2日目の練習の時、アロハシャツを着ていた生徒と中澤が衝突。
”限界”を感じた中澤は「やめさせてもらう」と帰ってしまった。

そう、この合宿にアロハシャツを着てきた生徒が3人いましたが
講師からみれば「お前たちは何しにここへ来たんだ!」と思うのは当然です。
生徒の方は「軍隊みたいな訓練なんかやってられるか!」というドラマにありそうな衝突シーンがおきてしまったのです。

「ヤバイ!!」と感じたのが部長の藤田でした。
中澤先生がやめてしまったら全国大会の夢が消えるのでなんとしても引き止めなければいけない。

顧問の教師が中澤をバスターミナルまで送っていったのなら
自分も走ってお追いかけて行くしか無い。

走って行くような距離じゃないけど藤田はそんな事考える余裕もなく
ただひたすら、泥だらけになりながら中澤先生のところまで行った。

バスターミナル近くの喫茶店で教師と中澤先生の姿を発見し、藤田は窓越しに叫びながら詫た。
何も言わなくても藤田の姿を見た中澤先生は思いとどまるしかありませんでした。

中澤は後日談として、彼がもし追いかけてこなかったら別の人生を歩んでいたかもしれないといい、
ある意味、あの日から野庭高校と自分の長い歴史のスタートラインだったと語っています。

しかしこの夏合宿はこれで終わりではありませんでした。
地区大会に出場するメンバーを決める時、前日に騒動を起こした生徒は選ばれるはずもなく、
その夜、選ばれなかった生徒4人で酒を飲み、見回りをしていた部長の藤田に見つかってしまう。
怒った藤田は4人をボコボコに殴り、そして泣いていました。
彼の姿を見た4人もまた涙を流し、この一件以降、二度と講師や先輩に反抗的な態度をとることはなかったという。

波乱の夏合宿でしたが、お互いに本気でぶつかりあったことで
ガス抜きも出来て結果的に良い方向へ向かったのでホッとしました。

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講師になって初めてのコンクールの結果は?

8月12日、まだ地区大会というのに2000人を収容できる県民ホールでの演奏は流石に緊張する。
「音楽は心」、そう呪文のように唱えてきた中澤先生の言葉をしっかりと胸に刻む生徒たち。
演奏しながら自然と涙が出てくる。前年は優良賞だったから今年こそは優秀賞を取りたい。
そして見事、第一関門である地区大会を突破して県大会→関東大会まで出場できたけど結果は「銀」でした。
全国大会に出場できなかったけど、これは大きな一歩でした。

翌年のコンクールの結果は?
次ページでは貴重な野庭高校の動画もご紹介