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波乱万丈「わろてんか」のモデルになった吉本せいの生涯・やきもち焼きだった?

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吉本せいの熱愛発覚!

大阪府議会議長を務めた辻阪信次郎との交際の噂が広まった。

市議会選挙の資金をせいが提供し、その見返りと言うべきか、前述したように、大阪府から表彰を受けたのは代議士・辻阪信次郎の口利きがあったのだろうと想像するのは邪推でしょうか。

しかし、昭和10年7月に京都地方検事局が納税に関する汚職事件の捜査を開始したことで、事態は急変。

組織的な犯罪が明るみに出て、信次郎とせいにも捜査の手が伸びたのです。

昭和10年11月17日、大阪朝日新聞にこんなことが書かれていた。

「吉本が辻阪氏を通じて贈賄の嫌疑がかけられていること・・、吉本せいと辻阪氏が永年、親密な交際を続けていた・・・・」

とある。組織的な犯行で関わった人間も数多く存在したことから警察もこの事件を重く見て、弁護士を通じても保釈の許可がおりなかったらしい。

しかし、病気がちだったせいだけは保釈が認められ病院に入院。

そして事件は意外な結末に・・・

昭和11年、1月23日に辻阪信次郎は収監された大阪北区刑務支所で自殺してしまったのです。

影響力が大きかった大阪府の政界の星が亡くなったことから世間での衝撃は凄まじかった。

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第一線から身を引く

昭和13年、吉本興業は資本金48万円で株式会社となり、せいは引き続き社長の座につきましたが、実際は弟の林正之助が采配を振るうことになる。

表向きは税務汚職事件の責任を取った形になったが実は事業に対する意欲が無くなってしまったのが実情らしい。

 

戦火に焼かれて

昭和19年2月25日、戦争も末期に入ると、娯楽にも厳しい措置がなされ、大阪府安保課から吉本直営の劇場休業を余儀なくされる。

更に、敵機襲来により、せいが30年間で築き上げてきた殿堂が一瞬のうちに灰になってしまったのである。しかし、せいは泣き崩れるどころか、意外と冷静だったらしい。

 

息子の恋愛、そして息子の死

せいは長男を失っていることから次男の穎右(えいすけ)を溺愛。その結果、息子の恋愛は頑として認めなかった。

息子の恋人は「ブギの女王」で一躍有名になった笹置シヅ子で、彼女は既に身ごもっていたけど、それでも二人の結婚に大反対していた。

ところが息子は昭和22年5月19日に急死。24歳という若さで亡くなったり、母親と同じ肺結核が原因だった。

せいが息子の恋愛を認めなかったのは、踊り子の分際でという思いがあったのでは?と言う人もいるけど、相手が誰であれ、息子の恋愛を認めない頑固おやじのような感情があったのかもしれない。

子宝に恵まれたものの、その多くを亡くし、唯一の息子である穎右を溺愛するのも無理はない。

そんな息子を赤の他人に取られるのは、どうにも許し難いことだったのかもしれません。

せいを知る人が口をそろえて言うのは、淋しがり屋ヤキモチ焼きで、嫉妬心が異常なほど強かったらしい。

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60年の生涯に幕を閉じる

せいは息子が亡くなった3年後の昭和25年3月14日に他界。60年の生涯に幕を閉じた。

息子の裏切りと病死が彼女の余命を縮めてしまったのかもしれない。

晩年は大阪日本赤十字病院で闘病生活を続け、高価な新薬を服用していたが、やはり病には勝てなかった。

あらゆるものを手に入れた彼女でしたが、家庭の幸福と自身の幸福を手に入れることができなかった。

そう語るのは彼女の人生を本にした著者の矢野誠一氏。

一代で莫大な財を築き上げてきたが、夫を早くに亡くし、娘達は嫁ぎ、息子には先立たれ、晩年は孤独を感じていたのかもしれません。

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