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希望の光が見える「この世界の片隅に」の結末
義理姉との関係が改善し、すずは北條家の人間として、これからも生きていこうと思った矢先、悲劇が起きたのです。
広島に原爆投下
昭和20年8月6日午前8時15分、広島に原爆が投下され、家族の事が心配でしたが帰ることも出来なかったすず。
ちなみに広島の原爆で、呉市は大規模な救助活動を行ったので、大勢の呉市民が2次放射能によって被爆したそうです。
終戦、すずの怒り
昭和20年、8月15日の正午、昭和天皇による玉音放送が全国で流れました。家族は落胆や安堵の表情を浮かべていましたが、すずだけは興奮した様子で怒りをぶちまけていました。
最後の一人まで戦う、左手も右手も残ってる、まだ戦えるかたら納得できない。
「暴力で従えとったということか。じゃけえ、暴力に屈するいう事かね」(引用「この世界の片隅に」)
すずの見つける先には韓国の国旗があり、当時、朝鮮半島を統治していた日本の事を言っているのかなと思います。
戦後、追い打ちをかける自然災害
終戦の一か月後、まだまだ復興途中の日本に、追い打ちをかけるようにやってきたのが枕崎台風です。
9月17日~18日に広島を横断し、呉市だけで1154名もの死者が出たといいますから、相当大きな台風だったことがわかります。
そう、皮肉なもので、異物が混入していても炊き出しの雑煮の方が普段食べている物よりも美味しかったのです。
新しい家族、新しい生活
昭和20年12月、実家がある広島市に帰っていたすず。妹のすみは元気だったが、両親は原爆の犠牲に。すみも腕にシミが出来ており、被爆してしまったようです。
すずは仕事の関係で広島市に来ていた周作と出会う。二人が初めて会った場所なので、周作は懐かしそうに風景を眺めていましたが、原爆ドーム前の相生橋かと思います。
お兄ちゃんは凄く恐い存在だったけど、いつもすずを見守っているという受け止め方も出来ますね。
そして広島市から呉に帰るため、電車を待っていた周作とすず。そこに一人の女の子がやってきたのです。
その女の子は両親を戦争で亡くした震災孤児で、母親はすずのように右手を失っていました。女の子はすずと母親を重ねて見ていたのでしょうか、すずに寄り添い、貰ったおにぎりを美味しそうに食べる彼女。
そんな可愛らしい子を見てすずは、
「よう、広島で生きとってくれんさったね」
と優しい言葉をかけたのです。北條家に連れ帰り、これから家族として一緒に暮らすことになったのです。