広岡浅子の夫、白岡新次郎の実在モデルは遊び人で役立たずだった?!

朝ドラ「あさが来た」で主人公の夫役を演じる玉木宏さん。
イケメンでおっとりとした雰囲気が印象的ですが、
実際はどうなんでしょうか?

ということで今回は「土佐堀川」を参考に、
モデルとなった広岡信五郎さんを徹底紹介です♪

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頼りないから頼れない・・・遊び人だった夫

実は広岡浅子が加島屋に嫁いですぐに、
経営のゆるさや無駄が多いことが気になっていたので、
今は繁盛してるので良いですが、
果たして自分たちの代までこの店は持つかどうか、という心配をしていました。

そんな将来を不安視していた彼女が、

「黙ってみてられない!」

と奮い立った最大の理由が頼りない夫の存在でした・・(笑)

毎日趣味三昧で遊び歩いている信五郎をみれば
任せられないと思うし、不安に思うのも無理はありませんよね。

そんな感じでいつも遊び歩いてる彼ですが、
黙って何処かへフラリと行ってしまうので、

「行く先ぐらいははっきりさせてもらわんと困るんどす。」

と浅子に怒られると

「すんまへんな、御寮はん」

とすぐに謝ってしまう信五郎の調子の良さに
ペースを狂わされてる彼女。

いつもこんな感じで夫婦のやり取りがあるんでしょうね。
ちなみに”御寮はん”というのは、
御寮人の略で「中流町家の娘または若奥さん」のことを言います。

 

浅子のお付きとの間に子供が出来る

加島屋の稼ぎ頭として奔走していた浅子が
炭鉱事業で家を開けていた時、
お付の小藤と枕を交わす夜があったようです。

これは不倫というわけでなく、
後継ぎを残すために浅子が望んだことなのです。
信五郎との間には女児一人だけだったので、浅子は信頼するお付・小藤に託したのでしょう。

当時もまだ、”正室と側室”というような考えが残っていて
後継ぎを優先する考えは自然だったのかもしれませんし、
嫁という立場上、プレッシャーも感じつつの決断だったのでしょう。

書籍には

「信五郎とは夫婦というよりも、同じ目的に向かう同士のような気持ち。加島屋を繁盛させるためのに強い絆で結ばれている」

そんな言葉が綴られています。

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信五郎が尼崎紡績工場の社長に就任

日本国内で絹織物の輸出が急激に伸び始めたのを受け、
信五郎は謡曲仲間と密かに紡績事業を起こす計画を温めていたらしい。

浅子が白い目で見ていた夫の趣味がようやく生かされたのです(笑)
妻からみればちょっと頼りない感じですが
人当たりもよく、信頼できる性格はある意味実業家向きかもしれない。

そんな彼が、
仲間内で立ち上げた尼崎紡績工場の初代社長に就任すると
”遊び人”から徐々に”実業家”の顔になっていったのです。

その頃、浅子はというと経営の傍ら、日本初の女子大創立に向けて奔走中でした。
炭鉱事業、綿花輸入、銀行経営という多角的に事業を行っていた彼女は
休む日まもなく活動していたのです。

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夫の死

明治37年6月、
加島屋が最盛期を迎えた頃、広岡浅子の夫は安心するかのように息を引き取りました。

信五郎が設立した紡績工場も軌道に乗り、
合併して新しい生命保険会社「大同生命」も2年が経過してこちらも順調。

あくせく働いた浅子も、この信五郎の死を受けて
娘婿に事業を譲ることを考えるようになったようです。

最後に・・・

浅子が嫁いで間もないころは頼りない夫でしたが、
当主である父が亡くなり、子供も生まれ、
男として「腹をくくらねばいけない」と思う瞬間があったのでしょう。

紡績工場設立を仲間内で計画し、社長に就任してからは
彼は劇的に変わったようです。

工場設立に関わった人は約30人位いる中、
社長になれたのも彼の人望の厚さだと思いますし、
頼りなかったけど、彼の温もりを誰よりも感じていたのは妻の浅子だったかもしれませんね。