「あさが来た」五代友厚は広岡浅子の師じゃない?死後に驚愕の事実が発覚!

朝ドラ見てますか~♪
9月から始まり、少女時代は鈴木梨央ちゃんが演じていますが
演技上手いですよね~。

そして意外と早く登場したのが五代友厚
小説では中盤辺りにサラッと登場しますが
広岡浅子にとってどんな人物だったのでしょうか?

ドラマでは”あさ”の師という設定らしいけど・・・

今回も「土佐堀川」を参考にご紹介していきたいと思います。

関連:知ってる?あさの師はこの人です

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浅子と五代が初めて対面したのはいつなのか?

三井家の祖・三井高春の150回忌の法要は、
親族だけでなく大阪の財界人や政界人も
参列者の中にチラホラと入っており、
その中で浅子の目に止まったのが五代でした。

「まさか先生が三井家の法要に足を運んでくれるとは・・・」

これまで大阪の商法会議所などで遠くから見かける事はあったけど
話したことはなく、彼の活躍だけは見聞きしていた浅子。

そんな彼が帰り際にふと彼女に歩み寄り、
励ましの言葉を掛けてくれたのです。

と言うのもこの時、
彼女が管理していた鉱山で爆発事故が発生し
その後処理に追われていたので精神的に参っていたのです。

「ヘコタレたらあかんで。御寮はん、気張りや。」

「へえ。」

先生が自分のことを知っている、
それだけで彼女は胸がいっぱいでしたが、
励ましの言葉を掛けてくれたことがどんなに嬉しかったことかわかりません。

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五代友厚ってどんな人?

彼はよく、もう一人の人物と一緒に称されています。

「東の渋沢栄一、西の五代友厚」

東京、関西それぞれ有名な実業家である二人は、
しばしばこんな感じで例えられていました。

この渋沢栄一という人物もまた、
浅子と関係の深い人物なのですが
それはまた彼の記事でご紹介したいと思います。

さて、五代先生についてですが、
ウィキペディアに詳しく載っているので
興味がある方はそちらをご覧ください。

簡単にご説明しますと、
かなり国際的な人物で英語も堪能、
若い頃、既に渡欧経験があり国際情勢に詳しかったことから
日本と諸外国を結ぶ国際的な窓口として尽力しました。

経済界では知る人ぞ知る人物で、
さぞや立派な風貌をしていらっしゃるかと思いきや
服装は無頓着で洒落っ気もなく、煙草の焦げ跡があっても気にならない、
ある意味男らしい人だったようです。

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早すぎる死、そして意外な事実が判明

実は浅子と対面した翌年、49歳という若さで亡くなったのです。
糖尿病が彼の体を蝕み、やせ細り、視力が低下していましたが
死の間際まで仕事をしていたというのだから驚きです。

そして死後、彼の書簡の内容が明らかになったのですが
その殆どが金の無心で借金返済が出来ないという悲しい内容ばかりでした。

生前、気前の良さはあったらしいけど、
残ったのは財産ではなく負債だったとは誰が想像していたでしょうか。

しかし五代友厚の生涯は大阪経済の発展に大きく寄与しており
彼が言ったセリフは浅子にとって一生忘れられないものとなったのです。

「死んでも五代の築いた大阪は残る」

書籍では「無上の尊貴」という言葉を使い、
浅子が彼のことを尊い、この上ない存在だった事が伺えます。
直接指導を受けたわけではないので、心の師というべきでしょうかね。

ちなみに直接指導を受けた、とい言いますか、
広岡浅子の相談役だったのが、上述した渋沢栄一という人物です。
近日中にまた記事にしますね。